彦九郎 山河

吉村 昭先生の彦九郎 山河

彦九郎山河

吉村 昭 / 文藝春秋




江戸時代のお話なんだけど、色々びっくり。


彦九郎、蝦夷地に行こうと江戸から旅立つのですが、千葉に行った事ないからと寄り道。

それから水戸に行き、福島から米沢に寄り道して

山形行って、霊山である湯殿山、月山に登って羽黒山にも登って降りてからから秋田に行って、

青森行って蝦夷地には渡れなかったので、そこから京都行って、そこから九州行ってぇ~って


全部、歩き!!


それから、その頃の災害の多さ!!

まず、水戸に行った時に7年前の天明3年に浅間山が噴火して~という話を聞いて

土石流が川をせき止め、その決壊で大洪水になり水戸方面で死者2千人、埋没家屋1万8千戸。

すぐ近くの嬬恋村では村人570人のうち477人が溶岩流でなくなる。

さらに吾妻川に流れ込み流れをせき止め鉄砲水となり川沿いの村々を押し流したと。

鉄砲水は吾妻川から利根川に入り利根川沿いにも大きな被害が出た。



それから天明元年から凶作が続いていて、天明3年には大凶作。


北に行くと凶作、飢饉はすさまじく、さらに悪代官によって領民は飢餓に追いやられたようです。

津軽藩では天明3年から翌年6月までに8万1702人が餓死!

藩主が江戸詰だった為そのことを隠していたそうです。


八戸藩などは早くから藩の財政が窮乏し、領民に重税を課し、豪商からは

御用金を取り立て出せぬなら財産を置いて出ていけと命じたそうです。


南部藩も餓死・病死者6万5千人に達し火付け、盗賊が横行しても、何の策も講じず

ひたすら重税を課すことに終始。

凶作にも関わらずお百姓の家に踏み込み年貢の強制徴収。

豪商、豪農たちから御用金を差し出させ家老たちは贅沢な暮らしをして

家老が江戸へ行く行列も華美だったそうです。




悪政はびこる東北の地では天保3年8月頃には食べ物がつき

野草や根を食べ、9月頃から体力の無い人気力の尽きた人達から餓死しはじめ

10月にはいると口減らしのため幼い子供は川に生きたまま流し

野草の類も食べつくすと獣、犬、猫、牛、馬も食い漁りとうとう・・・

親が死ねば、子がそれを喰い、子が死ねば親が喰い、まさに地獄の様相だったそうです。


そうかと思えば米沢藩などは藩士、領民すべてに米は粥にして食べるよう命じ

お米を使う酒造などを止め、凶作を免れた地方から米を買い

飢えた領民に米、味噌などを配り

豪商、豪農には苗字、帯刀を条件に、御用金を調達し

また、そうした豪商たちも競うように貧しいものを助けまるで藩が一つの家族のようになり

餓死するものを出さなかった藩もあったそうです。

上に立つものの良し悪しで領民の生命、暮らしも大きく違ってしまうんですね。


さらに九州に渡った時には雲仙普賢岳が大爆発!溶岩ドームが崩壊して土石流が島原城下に流れ込み

有明海に流れ込み大津波をおこし海沿いの村々を飲み込み

死者は1万3千人とも3万人とも伝わってきたそうです。

津波は海を隔てた熊本藩にも到達し

海岸沿いの村は死者4653人負傷者810人の被害を受けたそうです。

鹿児島ではその13年前に桜島が大噴火して148人が亡くなったと聞いていますから

日本国中、災害だらけ!



なんか、今と重なるものも・・・
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by mri-tan | 2012-08-10 11:50 |